昭和46年08月23日 朝の御理解



 御理解 第28節
 「病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするに、八、九分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておるようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根はきれぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよ。」

 病人や代々難儀の続く人、信心は無かっても、至って元気で家庭は円満で、困った事などあろうような事のない家庭があります。信心させて頂いておるもの、の家に限って信心しておってどうしてあんな事があるだろうと、いう様な事が起こってくる場合があります。これは私思いますのにね、御神縁を頂くということ、とりわけ私は合楽あたりに縁を頂かれる人、いうなら教祖のお教えの中に、子供の中に屑の子が居れば、その屑の子が可愛いのが親心じゃと仰しゃる。ですから矢張り難儀をしておる氏子。
 そういう方に救いの網というか、縁の網というか、そういうものが投げかけられる様に思います。ですから信心させて頂くと言う事は、矢張りそれ程めぐりの深い、いわゆる難儀を感じておる難儀な人が、まず救われねばならない、助からねばならない、そういう処から私は御縁と言うものが生じて来ると私は思います。ですからそれを言いかえますと、それは始めからそうではなかったであろう。
 始めは例えばここに例がとってあります様に、それこそ滾々と湧く様な、清水の様な水を汲み取らせて頂く時代があったに違いない。それが段々日にちが立つに従って、井戸さらえをしなければならない時期になって、井戸の水が臭くなって来たり、どうも時々濁って来たりという様な状態の中にある人達が、私は御縁を頂いて来ると思います。そういう人達が段々信心を頂くと言う事は、もう井戸替えをする一歩手前にあると言う事ですから、それが終わったら又、尽きる事のないおかげが頂けれる様になると言う。
 いうなら地獄の苦しみと言うのは、血の池地獄もありゃ針の山もある。それこそ釜で茹でられる様な苦しさもあると言う事だけれども、本当に人間関係などで、もうそれこそ針の筵に座っておる様だと申しますね、それはもう針の山である、人間関係の事で悩み苦しんでおる、本当に難儀、苦しい事というたら、もう自分方一人の様に思う時があります。これだけ働くのに、それこそ「働けど働けど吾がくらし楽にならざり、じっと手をみる」と石川啄木じゃないけど。
 どれだけ働いても働いても、稼ぐに追いつく貧乏なし、もう何時もいうならば家の中は火の車という訳です。こんな子は矢張り火の車に乗っている訳です。それこそ借金とりからはもう責め立てられとります、その為には本当に恥ずかしい思いをせなければならない事もあります。次々病人が出来る。それこそ病の床の中に閉じ込められて、出ろうと思うても出られない。いうならば牢獄におる様なもんじゃないでしょうか、起きろうと思うても起きられん、布団の外に出ろうと思うても出られん。
 金しばり受けておる様なもの、と言う難儀な問題もあります。けれども此処にですね、一筋の光明を与えてくれるものは宗教です。いわゆる勿論生きた宗教です。そこからおかげを頂けれるという確信に満ちて来る。いわば心が開けてくる道を教えて下さるのは、私は生きた信仰、生きた宗教だと思います。本当の意味に於いての極楽とは、そういう釜の中の苦しみを、それこそ地団太踏む様にして、まあ生神金光大神様、生神金光大神様と、苦しい中からお縋りしぬかせて頂いて。
 その地獄の釜が踏み抜ける程しの、私は力が要る、その下に極楽があると言う事。最後に病気災難は根の切れるまで、一心に壮健で繁盛するよう、元気な心で信心せよと教えられて居ります。どの様に迷う事が起こって参りましても、どの様に苦しかっても、もう辛抱が出来んという処であっても、さあそこを神様に縋って、辛抱さして元気な心でそこを通り抜かせて貰う、そこを踏み抜かせて貰う、そこに極楽がある。
 ですから例えば、金光様の御信心の頂いて思う事はね、矢張りめぐりの深い人の集まりだなと言うこと、いわゆる難儀な氏子であると言うこと。そこで難儀な氏子である、不肖の氏子である、神様に一番心配をかけておる私どもであると、いう自覚から信心がなされる。それで只今申します元気な心で信心せよと、いう此処のところに、いわば元気がでる様な信心、ここんところは皆さんいつも頂かれます様に、叩かれれば痛い、恥ずかしい目を受ければ恥ずかしい。
 けれども恥ずかしいけれども、痛いけれども、有り難いというものが頂けるのが信心、病気の苦しみ、人間関係の苦しみ、いわば経済上の苦しみ、苦しい、けれども教えを頂いとるおかげで、けれども有り難い。今日私、二十八節のどこの処を焦点に頂かしてもらおうかと思うたら、真ん中の処にね、やはり水は濁っておる様なものでと、やはりと言うところを頂いた。私どもここん処は気もとめない処ですね。
 この御理解を頂くと、やはり水は濁っておる様なもの、やはりこれ程信心するのに、それでも難儀が続いておると言うのである。やはりまだ水は濁っておる、ですからまだ心から根からお取り払いを頂いてないのだ、井戸さらえが心から根からの井戸さらえが出来ていないのだと分からせて頂いて、痛いのだ、恥ずかしいのだ、苦しいのだ、けれども、けれども、今こそ汚いものが取り払われておる時だと分からせて頂くから、苦しいけれども矢張り有り難いのである。
 此処んにきが信心の一番有り難い、時じゃないでしょうか。それでも矢張り有り難い、家の中のそういうめぐりにもと思われる、それこそ汚いものが出て行きよる、だから矢張り有り難いのである。未だ清らかな水が頂けとらん、けれどもこうして一歩一歩本当の意味に於いての、いわば井戸は清水になるまで、という清水になるまでを目指して、元気な心で信心をしておる時が、信心の一番素晴らしい時、この苦しい時に本当に有り難いとですかと、久保山先生がいつも言いよんなさった。
 本当に有り難かった。お金もなからなければ物は勿論ない、家族中の者がもう本当に食べるに食なしと言う様な、難儀なところを通らして頂いとる時に有り難かった。或る時に私、北野からの帰り道に、私は気が付かなかった。けど丁度後から久富正義さんがやって来よる。土居の方に入って、そこで、あそこで二道になっておるところで、立ってから御祈念をしておった。あの時分は道を歩かして頂くでも、そこに曲り角があれば曲り角で、二道になっておれば二道の所で御祈念をする。
 どちらの道を通らして頂くのが本当かと神様にお伺いをして、右と頂けば右、左と頂けば左を通らして頂いとる時代。まあそういう姿を後から拝んだ、ああ大坪さんが行きござると思いよったら、止まって御祈念しておる姿を見て、もうそれこそ今はもう先生、今は私と正義さんとの仲はこの様であるけれども、その時には大坪さんの時代である。それこそ大坪さんの後から後光がさしよる思いだったと言うとります。それが素晴らしい、一番難儀な時代。
 私は本当にねこの人は神様じゃろうか、仏様じゃろうかと言われる様なおかげを頂くときには、一番そういう難儀な時だと思うね。これは正義さん私の信心をある意味で知っておるから、自分で感じたとかも知れん。それこそ後から来よるけれども声を掛けられん位あった。妹が丁度お善導様の近くに殖産会社があった。私は一週間に一辺何日かに一辺位は、福岡から善導寺の教会にお参りするのに電車を利用した。だから大城からおりて歩いてきた、善導寺へやって来る。妹の勤めておる事務所の前を通る訳です。
 誰もあれが椛目の大坪さんと知りもせん。そしたらそこの所長さんが妹に向かって、一寸ほら池尻さん、妹は池尻といいます。今前ば通って行きござる人は、何時もここば通りよんなさるがね、あの人は只人じゃなかばのちゅうてから言いよんなさいました。道を歩きよったっちゃそげんみえた訳です。その時分の私の様子と言えば、それこそ靴のこんなに口のあいた様な破れ靴を履いて、破れたカバンを下げて、洋服はこんなに曲げてから、もう夏も冬も夏服一枚で過ごしている時ですから。
 それこそ言うならばみすぼらしい限りであろう、ルンペンにも等しい姿であろう。けれども池尻さんあの人は只人じゃなかばのといわれる、あれは私の兄ですと、それこそびっくりされたでしょう。そういう話は幾つもあります。私はいよいよそれこそ根限りのおかげを頂く為に塵芥を出さして頂いておった。一番難儀の続いておる時に有り難い。これは信心を以てせなければ出来る事ではない。そこに信心宗教の救いがある。
 信心の尊さ、信心の有り難さ、をそれこそどうして今この難儀な時に、その味合いを味合わせて頂きながら、いわば有り難く楽しうお取り払いを頂かして貰う、おかげを頂かなければならんと思う。これ程信心するのにやはり水は濁っておる、これ程信心するのにやはり次々難儀なことは起こって来る、だからそこで退屈したらと此処で言うとられます。そこで挫折したら水は何時までも濁っておる様なもの、金光様の御信心を例えば頂いておっても、ここんところに一踏ん張り、一踏ん切りした。
 一心発起した信心が出来ないと、何時まで経っても水は薄濁ると言う事になる。そこで信心を止める人さえある。それはそうですよね、未だ井戸かえをして暫くしとくと、じっと澄んでくるです、上澄みだから上澄みとって、信心はせんでもおかげは頂かれると言いよるけど、絶対おかげは受けられんです。それでは御神縁を頂いた限り、その御神縁を辿らせて頂いて、御神縁の網を引き寄せ引き寄せさせて頂きながら、神様に信心とは我が心が神様に近付くこと。
 神に向こうて行く事を信心と言うのじゃ、という程しの信心を身につけて行かねばいけん。だから退屈してはならんと仰しゃるが、退屈の段じゃない、有り難うして、有り難うしてが、育って行く訳であります。そしてそういう一生懸命の信心させて頂いとる時に、光も頂ければ力も頂ける。そこから頂けるところのおかげは、それこそこれがこの世での極楽であろうかと、これは自分の心の中に有り難い心が、それこそ何処とものう湧いて来て、そしてそこからは人間が幸せにどうでも必要なもの。
 その必要なものが無尽蔵に限りなく与えられる世界がある。そこはめぐりのお取り払い頂いて、そして信心の有り難い世界に到達したものの姿である。「信心しておかげを受けてくれよ」と仰しゃる天地の親神様の心はそこにある。それでも難儀が続く、やはり信心したっちゃ同じこと、という事を例えばここで矢張りという。そのやはりと思わして頂くところを、大事にせなければいけない。これは言うならば、体験者が語っておるのだから絶対間違いない事である。
 私が歩いて来た信心、という体験に基づいてお話をしているのであるから、間違いがない筈である。それを教祖様のお教えを、私のいわば信仰体験を通して皆さんに聞いて頂くのですから、もう絶対のもの、しかもこの世で極楽というおかげを頂かして貰うてこそ、はじめてあの世の極楽があるのです。いわば生死を通しての人間の幸せという、その根本的なものを教えて頂くのが信心です。
 皆さん本当にそこを目指さねばいけんです。「やれ痛や今みかげを」という心、痛いけれども有り難いという信心、途中で止めれば病気災難の根は切れぬ、井戸は清水になる迄とね。井戸さらえと言えば、一日か長うかかっても二日もあれば済むとですからね、ですけども私どもの、いわば家の井戸さらえと言うのはそんな訳には参りません。けれどもね、もうそこに井戸さらえをしなければ行けんのだと、警告を受けておるのが、難儀です。ですからそこん処が悟りというのです。
 これはどうでも私の家は信心に依らなければ助からんという、いわば強い心が生まれてくるから、その強い心で神様に向かう事が出来る、だから一番おかげを頂けれると言うか、いうならば極楽に一番近いところに私どもはあると言う事。信心させて頂いとるものは、信心はなかっても如何にも幸せそうに、お金も一切のものに恵まれる、家庭も円満そのものの様に生活をしている人達は、まだこれから地獄の苦しみが始まるのであって、まだ言わば救われにくい人、救われ難い人達だという事がいえる訳です。
 だから決して羨ましい事はない。今一番難儀なところを通っている人は、もうすぐそこに極楽が見えている時だ、ですけど、そこに見えておりましても、そこ迄行かなければ矢張り極楽はない。それかと言うてなら難儀さえしとれば、それで良いかと言えばそうでもない。極楽はすぐそこに見えておるならば、その見えておるとこまでは、元気な心で信心せねばいけません。何かしらん、しゃっち信心せにゃんごと教えちゃる。信心するとあれだから、とても私だん出来んという人がありますが。
 まだその人達はせんでもよい人達です。その人達は。けど本当に自分の家のめぐりを感じた人達はです、そこのところを頂き抜かせて頂くおかげを頂かにゃ。だから御理解のお話は、私どもがもう金光様の信心を離れられんごと、何かこう、何か脅迫でもされておる様な、思いをするような時代が無いではなかった。私の過去の時代には、ところが私自身そういうお話を頂きに頂き貯めておった事がです、いよいよ難儀に直面した時にです、それが生きて来た。
 そして私自身がおかげ頂いての話なのですから、決してこれは皆さんを脅迫しとるのじゃないですから、そのつもりで頂いて下さい。信心に本当に足を踏み込んだらもう、何か足は抜かれん、何か悪いところにばし入り込んだ様にいう人がある。だから信心も程々にしとかにゃと言う人がある。成程ほどほどでは程々のおかげも頂けましょう、けど根本的な助かり、それこそあの世にも持って行け、この世でも後光のさす様な性格とでもいうか、人柄とでもいうか。
 自分自身は有り難うて有り難うて、何とはのう有り難うなって来るという、私はおかげを頂くためには、これはもう人生の為には何よりも一番大切なもの、何を得るよりも、何を体得するよりも、信心のそこのところを、体得するが一番大切なこと。これは永劫の問題につながる事だから、この世だけの問題でないのだから、本気でです私どもが私どもの時代に、丁度井戸さらえをしなければならない時期に、いうならば恵まれておったと言うても良いのである。
 私がもう借金にもうそれこそ、福岡に後藤という小児科の先生が居られた。甘木の御信者、熱心な御信者で、もう私の方のすぐ裏でしたから、もうみすぼらしい、畳みもなかれば、雨が降ればどんどん漏るという様な、小屋の様なお家にね、お参りになっておられました。そういう様な関係でございましたから、人間とはいよいよの時には、どげな仕事でも出来るという事はね、私は洋服の、これは弟の形見になって、これだけはどうしても手放してはならんと言う洋服があった。
 それを持ってその後藤先生のところに行きましてね、どうしても一万円なからなければどうにも出来ない、そこに借りに参りました。そしたら後藤先生が奥さんと二人でもう、大変心よう、しかもその洋服なんか置いておかれることはいりませんと言うて、貸して下さった事があるのですけれどね。もう本当にこげん恥ずかしい思いをすることはないですね、未だお金がある時に、余裕がある時に、借りることは平気なのですけど、いよいよお金が無い時に借りに行くとき、こげなじゅつない事はないですよ。
 しかも御信者さん同志の中に借りに行く事はね、もう大変な苦しい事です。その時神様に御祈念をさして頂きましたらね、私が禿山に登って、こう鎌を持ってね、薪を取りに行っとる様な感じを頂くのです。禿山に登ったら、もう薪になる様なものは一本だってない訳です。御理解にね、この山は元はそれこそ鬱蒼として、茂っておる時代があったと、それを先祖はね、もうそれこそ私の方はね、久保山茂さんところの前にある、今はもう無くなっとりますけど、処にあったのです。
 もうばばが、あそこの前を通る時には、私ども子供の時には、ここに歩きに来ておったと言うておった。何処から何処まで人の地所を踏まんで良いという時代があった、瓦の一枚一枚にこの紋が入っとった。そういう時代に一番最後に財産を無くして終った人なんかですね、もうそれこそ一円札で尻拭いたと言う話が残っとるです。そして下男達に拾ってくれと言いよった。お食事のときに三味線が入らなければ、お食事しなかったと言う様な、贅沢三昧しとった様な時代が先祖にあった訳です。
 それこそ鬱蒼とした、ここには木が繁ってあったけど、それを只切るばっかりで、それだけしとるのに、ならお寺さんなんかに全然寄付しとらんです。これも驚きです。ただ自分の栄耀栄華のために浮身をやつして没落しとる。ただ切るばっかり、そこで私はそういう時にですね、一生懸命だから、ここに喜びの苗を植えておけ、それこそ信心の喜びの苗が、そこの禿山の中に一生懸命に植えられた。それはもうそうですね、二年とはかからなかった、その木が大きくなったのは。
 椛目でどんどん人が助かる様になったでしょう。あれだけの首の回らなかった借金が一年で終わってしまいました。しかも十回位に及んで、さあ広うなせ、さあ広うなせと、広うなしましたね椛目は、そしてこの合楽のおかげ頂いとる。だから私は本気でこの材木が太る為には、何十年かかると言う事はない信心では。本気でその気になったら。だからそこんところを本気でね。
 一ぺん頂かして貰う、やり抜かせて頂く、元気な心が必要なのですよ。その為には信心がいよいよ有り難いものと分からせて貰う信心を、身につけさせて頂いておかげを頂かなければならん。それこそ、病気災難は根の切れるまで、そういう難儀なときに病気災難の根は切れておった。それがすっきりと、まだ椛目で始まった時代、あの新道の方から入りよった、道の方から入りよったのが東側の方から入る。
大きな一間の戸が出来ましたがね、あの時分に母がお夢を頂いて、小倉の初代桂先生がね。もう象の様に大きな牛を引っ張って、けどやっとかっと引っ張っとらんならんと言う様な、大きな象の様な牛をですね、桂先生が引っ張り出して下さるところを頂いた、と母がその当時お届けしとります。牛と言えば家のめぐりと仰しゃる。それこそ私どもには、象の様なめぐりが有ったわけです。
 それを神様のおかげで出させて頂いて、おかげで後はこんこんと、それこそ限りなく尽きる事のない。清水が湧く程しのおかげ頂いて、しかも私一家じゃない、皆さんにもこうやってお分け出来る程しの、おかげが頂ける様になったと言う訳なのです。どうぞ病気災難は根の切れるまで、退屈する事なく、やはりそれは信心しとっても、どの様なことが例えよし起こっても、そこん処を「やれ痛や今みかげを」と言う心になって、信心の力、信心の光を身に付けて、元気な心で信心して行かねばいけません。
   どうぞ。